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とうふ

Artists'Talk
2
by women's-performance-art-osaka
in C.A.P.HOUSE KOBE
at 3th June 2001

レクチャー:のぎすみこ(NOGI Sumiko)
『のぎすみこというアーティストの仕事』
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1月に上映した近作ビデオ「Artist'Talk」(作品タイトル)の上映からはじめます。(*1)

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『上映約1分43秒』

0:03 
アンディ・ウオホールの画集が開かれて、
見開かれたページの左側には「花」の、右側には「自画像」。シルクスクリーンによる有
名な作品の図版が画面にアップになる。
のぎの声でがかぶさる「アーティスト」
0:05 
ステンレスのボールに入った、白い四角い新鮮な豆腐が置かれている。豆腐が画面にアッ
プになる。
のぎの声がかぶさる「トーフ」
0:11
再び、ウオホールの図版のアップ画像とのぎの声「アーティスト」
0:15
豆腐のアップ画像とのぎの声「トーフ」
0:21
カメラがひいて冬の公園のベンチに、図版と豆腐が並べておかれていることが写される。
0:28 
のぎの声「アーティストトーフ」
0:35 
カメラが右方向に振り向きのぎの顔のアップ。口から白い10センチぐらいのうどんを舌の
ように出し入れする。目線はきょろきょろと泳いでいる。
1:35 
カメラがもっとのぎの顔に近づく。
目線をカメラに向けて、(先程のガムはなく)おもいっきりの笑顔。
1:43 
笑顔の画面のまま終了
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大阪に来たかった。

 こんな感じです。
 この作品は第一回women's-performance-art-osakaの時に出したもので、すごくその時に
大阪に来たかった。でもどうしても(仕事の都合で)行けなかった。
 アーティストトークがあるのにいけなくて、悔しいと思って、実際に上映用に提出した
本作品とは別にプラスして、このビデオを3〜4日前につくって前々日に送った。

「あのビデオの最後の部分の笑顔は、メッセージですか?」

 あの自分が笑ってるの?メッセージだね。
 メッセージだねっちゅうか、なんとなく自分に満足している感じかな、あれは。

「近作ということなのですが、この1月のものの後に作品をつくりましたか?」

 その後に、手許に配ったチラシの通りワコールさんのやっているおっぱいアート展(*2)に出した作品があります。
 今、その説明書をちょっと配ります。

 作品というのは何でも、『もの』を見てもらうのが一番良いのですが、説明すると、
(作品は)マフラー(の形態をしたもの)を、すると[ふふーん]となるおっぱいをつくっ
た。(ちょうどマフラーをすると、マフラーの両端にあるおっぱいのオブジェ部分が胸の
あたりに来て、男性でも、子供でも、おっぱい持ちになれる)
 単純に説明するとおっぱいは3種類。白人と黄色人種と黒人。3色のおっぱいをつくっ
て、全部左側のおっぱいに細工をしたんだけど、白いおっぱいには、黒いタトウー、黄色
人種には、真っ赤な牡丹の花の刺繍をして、黒いのには乳首にピアスをさしている。

 「補足させていただくと、ワコールでおっぱいに関係するアート作品を公募してそこに
のぎさんは応募し、入選したので参加している。今、配ったものは、実際にこのおっぱい
マフラーは使えるので、それの説明書みたいなものです。急きょつくりました。」

アーティストになる経緯

「えっと、アーティストになる経緯をこれから聞こうと思うのですが、こうやって人前に
みせる形で作品を作ったのは何作品目ぐらいですか?」

 何作‥‥何点だろう?

「何年目って考えると?」
 何年と考えると6年目です。

「その前は何をしてましたか?」

 その前は肉体労働、今でもまあ肉体労働なんですけど、あの‥‥逆にたどると、便利屋
をやって、その前はバイク便をやって、その前は出前をやっていました。

「その前は?」

 出前をやる前は、ニットセーターのデザインと、技術者として実際に編んでいた。手編
みでなく機械編みなんですけど。あのー結構硬い感じの、森英恵さんとか、そういうとこ
ろのファッショショウとか、そういう時のためだけのサンプルというか、そういうのを実
はつくっていた。あとは、自分でデザインしたものをつくっていたりしたのが、いきなり
中華屋の出前をやり、中華屋の出前をやっている時には、実は中華屋の出前だけではな
く、コンビニのバイトとかもしたりしていて、でも住込みで3年ぐらいやったのかな。
 そう、[おにいちゃんいつも元気だねえ]っていわれながら、やってて、中華屋の出前を
やめた後にバイク便を始めるのですが‥‥

ニットから中華屋?

「ニットから中華屋の出前にいくのに、何かあったのですか?」

 もうねえ、いろんな事があったんです。20代の前半で、私素直だから何でもいってしま
いますが、あのー恋をしていて、恋をしている人にふられたので、落ち込んで仕事が出来
なくなって、仕事をやめるんです。もちろんその時にニットが国の体制もあって、糸会社
とか、ニットやってるそのものが、だんだんつぶれかけてきた頃だから、今となってみる
とよかった時期にやめてるんだけど、とにかく、セーターを編めなくなるんです。
 演歌みたいですねえ。(大爆笑)
 で、編めなくなってしまったので、力仕事にいく。だから肉体労働に走ったんだけど、
で、もう、何も考えたくないという状況がかなり長かった。
 ずーっと、そうやってて、[もう、どうでもいいや]って。バイク便とかやっていたの
も、私って今考えると、すごくだめなやつだったんだけど、あのー、とにかく飛ばしたの
ね。飛ばして、どっかぶつかったらどっか行くんだろうと思って、飛ばしてたんですよ。

首都高で‥‥

 首都高速道路でトラックにはさまれて、横転したんだけど、バイクは大破したんだけ
ど、私は無傷だったんだね、今でもあれば、すごいなーって思う。きっと多分、私が思う
には、トラックに『はがががががが』と左グリップがあたって、[あーもうだめだ]と思っ
て、バイクをばっと放したら、私は『ぽんぽんぽんぽんぽろぽろぽろぽろ』って、その頃
は今よりは痩せていたが、多分クッションのように、はずみながら、ころがっていった。

 首都高で事故起こして無傷だったのは、はじめてだったんだって。トラックとか逃げ
ちゃったんで、(会場大ざわめき)多分、私が死んでたら捕まったんだろうけど、もうそ
の大破したバイクを自分で押して(路肩に)よせて、そんで、緊急用の電話で、
[もしもしトラックとバイクの事故です!]
[バイクの人は?]
[私です!](大爆笑)
 で、そういうことは稀なんですけど、とにかく救急車呼びますって、救急車乗って見て
もらったら、お医者さんに[太くて丈夫な骨ですねえ]いわれて帰された。
 まあそれは可笑しい話なんだけど‥‥。
 そういうことがあって、だめだこりゃってことが、実はそれだけでなくってもう一個
あった。あのーそれが結構今の私をつくっている。

イタリア

 そのバイク便をやめた後に、私はイタリアに行きたいと思って、

「何故イタリアなの?」

 何故って聞かれると、前に一回行ったことがあったので、ということだけなんだけど。
 きっとイタリアじゃないところに行ったことがあったら、そこに行っていたんだけど。
 とにかく「イタリアだ」と思って、バイク便で稼いだ貯金を持って、貧乏旅行を一月ぐ
らいしてた。

「イタリアのどこ?」

 イタリアの南だったの。あのーナポリとか、シチリアとか、そっちの方ばっかりが、ど
うやら私が好きだった。とにかくそこをうろうろうろうろして、楽しかったなあって、食
べ物が美味しかったなって、記憶だけが残ったわけではないんだね、実はそこで知り合っ
た日本人の女の子に、東京に戻ってきてから、会って‥‥、

 ああ、どっちを先に話したらいいのかなって感じだ。

何か表現をしたい。

 帰ってきて、何か表現したいって思い始めた。
 その時が28になるかなって歳だったんだけど、何か表現がしたいなあって思っている時
に、イタリアでたまたま知り合ったその女の子に、[ちょっとパーティーがあるから行かな
いか]っていわれた。   そのパーティーがあった場所は、ある人が自分の家を解放して
無料で、展示とかさせてくれるところだった。で、(私も)何か企画をやろうと思った。

 はじめて自分でそこで企画をこう、書いて、色んなところに行って、まわったりしたん
だけど、実は、それをやる時は‥‥‥、そうだ、帰ってきてすぐに何をやったかというと
露店商と溶接の免許を取ったんだよね。
 そう、私、外でがらくたとか、売ったりしてたの。で、がらくたを売っていたら、若い
時に友だちだった人にたまたま会い、今非常に私にとって、重要な人物になっている人が
何人もいるんだけど、露店商やらなかったら絶対一生あわなかっただろうっていう、何
か、
[すっごーいい、運命って!!]
[全てはつながるのね!!]って状態。

 その時も、何か表現がしたいって、思っていながら、自分で何をしていいかもわからな
くて、結構、気分的に上がったり下がったり非常に多かった。

 その頃は表現したいって気持ちはけむりのようにもやもやあっただけで、具体例も何も
ないんだよね。

 骨董屋やってた、ある時、倉庫に物を運ぼうと 思って、荷物運ぶフォークリフトを運
転して、2階に荷物をのっけて、その時に、降りようとして、3メートルのコンテナから落
ちたんだよ。

「また!?」

そしたら、また、『ぼよよよーん』となって(はずんで)、無傷だったんだね。そんで、
何だったんだろうって思いながら、ちゃんと車運転して帰ったんだけど、何かねー何か
きっとあるはずだーって、思った。
 ただ、単純に脂肪がついてたから、助かっただけかもしれないけど、あのー、それがね
え、何か、何だろうって、どうでもいいじゃんって、

「え?」

 死ぬに死ねないじゃんって、思った。
 
 私の精神的なことをいうと、私はそう、銭湯に入るのもいやなくらい、私の裸みない
でって、そういうのがあったりとか、そういうのが、[何でもいいやー!!]って、逆に自
分から脱いでやるーぐらいの、なんかそういう風な(精神)状況になったんだよ。

「落ちたことが良かった?」

 うん、良かったんだよ。天才バカボンのパパみたいに、そういう状態になった。そこで
転機を向かえたっていう。

CD-ROMの自主制作

「CD-ROM(*3)を最初に作ったの?」

いや、それより前に企画したの、あとで見せますけど、あのー、自分一人で何かやるって
いうより、誰かと何かやりたいって、思ったから。
 だから、あてはなかったけど、とにかく面白いことをがんばってやったら、そこの家の
オーナーが場所を貸してくれて展示が出来るわけだから。
 でも、1年かかって、色んな人に、私と、私と全然タイプの違う、女の子と二人を使っ
て、写真で料理してくれって企画だった。
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『作品につけられてる解説文』
★1994年から約一年半にわたり、「あなたの好きなように、女性二人を料理してくださ
い」を売り文句に、わたし(デブ)ともう一人(ヤセ)の二人の女性が被写体となり、
様々な職業の人に撮影してもらいました。
 シチュエーションは撮影者側にゆだねましたが、必ず撮影者側がただの傍観者にならな
いように、同じシチュエーションの中でカメラに収まることを条件にしたので、ヌードを
撮った人はヌードになってもらいました。それも収められています。
 作品名の通り、撮影した数だけの「女性二人」のイメージを観る事ができます。コミカ
ルだったり、シリアスやブラックジョークな作品もあれば、ほのぼのした作品もありま
す。
 もともと1995年に、写真展として発表したものですが、音楽を付けて写真枚数を増やす
ことで、一つ一つの作品にストーリー性と、膨らみを持たせる事ができました。盛りだく
さんの内容で、満足していただけることを保証します。
のぎ すみこ(作者)
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「私が、のぎさんとはじめて会った時に、良く知らずにあったんですが、そのすぐ後に、
この27人の私というCD-ROMを送ってくれた。で、CD-ROMのカバーを見たら、有名どころの
アーティストの名前がのってたりとかして、私は簡単にそこに気をとられつつ家のPCで見
た。第一印象は簡単には説明のつかない印象深いCD-ROM作品やなって、思った。
(作品のことをすでに知っている例えば会田誠などのアーティストが、のぎさんという私
が知らなかったアーティストに巻き込まれることにより新たな展開が‥‥うんぬんでな
く、作品の内容からなのか、CD-ROMでの見せ方のうまさからなのか、私は、この作品を見
てから、のぎさんと他人じゃない気分が湧いて来た。率直にいうと、忘れられなくて、せ
つなくてって感じ。単に見ただけの私まで、何かこの作品のつくられた過程及び作品自身
にある種の必然を、自分の中の必然に重ねた感じがした。) 
 今、在庫がいっぱいあるんでしょ。」

 そう、もしよかったら買ってくれー。

 あのー結局、出前とかバイク便とかやってたわけで、その時に友だちに連絡とらなかっ
たから、友だちがいないのさ、簡単にいうと。

 とにかくそういうような企画書に書いてあることを、とにかくいろんな所に行って、[こ
の企画に参加して下さい!]とかいって、 毎日のように色んなところに出歩いて、[で、
こういうのをつくりませんか?]。

 実際に本当に男の子で、ヌード取らしてくれってって、[いいよって]、とにかく二つ返
事でいうんだけど、[あんたもちゃんとヌードになってね]って、こういう企画だからって
いって、[俺はやだよーって]、[じゃああんたには撮られたくないって]こっちでも選んで
いた。
 ちゃんと脱いでくれる人もいたからちゃんとCD-ROMの中におさまっているんで、そうい
う風にして、出来たから、そこのオーナーに持って行ったら、じゃあ、面白いからやれ
ばって、展示した。 

 で、展覧会しただけじゃあ、ちょっとなって思った。
 私は未だにパソコンを持ってないのだが、しかもその時パソコンを持ってる人なんて、
ほとんどいないような時期で、仕事で使っているような人はいるけどって感じ。
 でも絶対CD-ROMだって思って、CD-ROMを自腹を切って、作ってしまたのだよ。
 でも1年ぐらいかかったかなあ。その展覧会をやろうと思って企画書を持ってあるいたの
に、1年半ぐらいはかけてて、で、その後CD-ROMを実際に刷るまでに1年ちょっとぐらいか
かってるよう状態で、まず、最初はやったのだった。

 全く何にもわからないわけで、とにかく何かつくりたいけど、どうやっていいかわから
ないし、後、色んな人といきなり関わってしまうのは、そんなに大変な事なんだなってこ
とが、逆にだんだんわかった。2年ぐらいたって、その中で大変なおもいをしたこともあっ
たので、え、だったら何か、人と組んでやれることを考えたんだけど、その後に。

お金がちょっとあって、その後なくなって

 そう、その時は、今よりもお金がちょっとあったのね。保険を解約したりとか、

「皆することいっしょやな、私もイギリス行く時に全部解約した。」

「え、私は入ったことない」

 出前とかバイク便の時は入るんだ、やっぱり。
 そのまま継続してたのを解約して。
 そう、で、少しお金があったので、あのう、無謀なんだけど、自分でいきなりお金を
払って、ギャラリーを借りようとするんだよ、1日5万とか6万とか、でも3回やったらね、
いくらだよって。
 でもそういうことをやってしまって、あ、やばいって、だって稼ぎがすっごいないの
に、そんなことがもちろん続くわけでなく。

 じゃあ、何やってるかというと、えっと、まず私は恋人の所にころがりこんで、家賃4万
円の6畳一間のところに転がり込み、部屋を狭くしてやったのさ。(大爆笑)

 あいての部屋をただ、[狭くしてやっただけだー]、みたいな。そういうことから、まず
してしまったな。
 ほんで、そんな中から小さいものをちまちまちまちま作って、(記録としての)写真に
納めずに、300円とか500円とかていう値段で売ったりとかしながら、何でもやりますって
いって‥‥。

 [何でもやりますって、わかんないじゃん、何がやれるのって?]いわれちゃうから、[い
や、とりあえず、そうですねえ引っ越しとか、力仕事なら今までしてましたし]ていって、
ホントひとんちの引っ越し手伝ったり、トイレが詰まったからとか、おれんちの車のバッ
テリーをかえてくれとか、とにかく、つまんないことも。

 あと、御飯がたべれないとき、あのう、私は器用貧乏なので、御飯をたべさせるぞ、と
誘われれば、じゃあ髪の毛を切りにいくぞって、髪の毛を切ってあげて、ごはんをごちそ
うになるとか。

「え、髪の毛切る技術もあるん?」

 あるわけないじゃん、適当だよ。
 (大爆笑)

 え、そんなの適当でいいじゃん。
 でもうまいねーって言われて、いい気になった。 たち鋏で切るんだけど。(大爆笑)
 
 そういうことをしたりとか、(報酬は)一回5000円とか、下手するともっと安かった
り。

 ある時は [あんた貧乏だから、私の知ってる友だち紹介するわよ]っていわれて、友だ
ちのお母さんに気に入られて、そのお母さんのお友達の家に掃除しにいったこともある。
[そっからそこまでのかなり広い食器棚を磨いてくれるだけで、30000円上げましょう]っ
て、いわれて、[それは悪い]って思って、全部ぴかぴかにして、網戸はずしてがーって洗
い始めたら、[いいのよ、しなくって]って言われて、[わーいい仕事だ]って思ったことも
あったけど、そんなのは少ない。

 とにかく人のつてでなんとかとにかく、食べて。
それが、良くやせないねっていわれるけど、やせないのさ、だって、報酬が御飯だったり
することもあるんだから、いくらでも食べていいよっていう人もいるわけで、[本当はお金
が欲しいんだが]と思いつつ、やっぱり、[いいよつれてくよ]って、いわれると、たいてい
肉じゃん、すると痩せないんだよ、[魚でいいっす]って思うんだけど、[質素でいいっす]
と思っても、つれて行きたい方は肉なのさ。やせない。
 [お前本当は全然貧乏じゃないんじゃないの]っていわれるぐらい、御飯には困りません
でした。

イラストレーター

「イラストレーターの仕事をしてたのはその頃?」

 イラストっていうのも、そのー他の人が落としちゃったイラストをやるんだよね。

「落としたとは?」

 結局30日の〆きりにこれまでの枚数を仕上げなければいけないのに、その人が描けな
いって、で、明日までに3つ描いてくれるってのが、来るんだよ。 で、[いくらですか]っ
て聞くと、[3つで1万円でいいかな]って。安い仕事だけど、それをこなせば、1万円もらえ
るし、いちようそこの人と知り合いになれるし、これから何か仕事もらえることもあるか
もと思うと、とにかくそれでやる。
 そしたら実は自分のイラストのパターンがないんですよ。何でも描きますっていっちゃ
たんで、あのーこれとそっくりにかいてってのもやりました。この人と同じタッチで描い
て下さいって。

「このおっぱいのやつ(おっぱいアートの説明書のイラスト)はうまいよね。」

アーティストとして

「あのアーティストとしてってとこに入っていきたいんですけど、アーティストとして意
識し始めたのは?」

 ああ、もう最近です。はっきりいって最近。
 アーティストとして、は最近だ。
 もちろん今でも[仕事は何をやってますか]って聞かれて[何でも屋]って答える事もある
んだけど。
 今までは逆に、かっこつけるわけでも何でもなくて、アーティストってよばれるのが、
やだなって思っていた時期が有り、最初は逆に、自分はそんな風には呼べない、何も作品
は作ってないと思ってた。

 最近は逆に、アーティストってことをくっつけないと、自分でどう説明していいか、む
しろわからなくなってきたので、そういう認識を、自分でそういう意識を持っている。で
もそれはごく最近。

公募展は良い経験

「今、ちょうどおっぱい展にアーティストとして参加したと思うのですが、何か思ったこ
ととかありますか?」

 展示をしながら思ったこと?
 具体例をいうと、一度ニットで公募展だしたことはあるんだけど、いわゆるアーティス
トとして、なんかそういう状態で公募に出したのは、今回がはじめてだったんです。
 で、よく分からなかったから、勝手に、自分で、壁はこうだろうとか、床はこうだろう
とか、天井の高さはこうだろうとか、勝手にとってもいいイメージを持っていたんだが、
実際は蛍光灯で、えー後ろのパネルも真っ白ではなくて、床もパネルじゅうたんみたいな
感じだった。あと、本当は吊りたかったんだけど、最初は吊るのがオーケーだったのが、
途中で吊るのがオーケーでなくなって、用意してもらったバー(作品設置のための用具)
が、予想していたものと違ってて、あせった。
 でも、それは私も悪いんだなってことが、良く分かった。

「ン?」

 どんな状況でも、どんな風にでもなるように、やっぱり考えなくちゃいけなかったなっ
て。

 実際今もアトリエを持っているわけでもないし、広い家にすんでいるわけでもないか
ら、そんな大きなものはつくれないけど、小さいものをつくったからって、じゃあそれ
で、インパクトがないって風にも思わない。
 それは、今回やってみて、すごく勉強になったことだ。
 こうすりゃよかったなとか、でも、それが(公募展を経験したことが)一番良かったか
なって。

今後の展開

「質問とかない?」

「今後の抱負は?次どんな作品を?」

 えっと次は、とりあえず、おっぱいマフラーの展開としてビデオをつくろうと思ってま
す。
 こっちにきてから考えたんでなく、マフラーを作りはじめて、これはビデオにしたら面
白いだろうて思って、もう少しインスタレーションするのにもうすこしいいかたちになら
ないかと。
 もう少し(作品コンセプトが)分かりやすく。

「ビデオ作品になるの?」

 ううん、インスタレーションになる。ビデオも流して、物をおいてというものを考えて
いる。

「他に、作品アイディアはあるのでしょうか?」

 うん。いっぱいある。企業ひみつだね。
 まだ固まってないことも色々あって、皆もってるとは思うんだが、ネタ帳に描いて、(自
分で)[おもしろーい]とか思いながら、一週間ぐらいあとから見て、面白くなかったり、下
手すると一日中ネタ帳を描いていることがある。それは暇は時だけだけど。

「ネタ帳は前からつくってるの?」

 ちゃんとネタ帳に、買ってきて、これはネタ帳にするんだっていうのは去年ぐらいか
ら。
 その前はネタは自分のノートにあっと思ったら、こぼさないようにペンで描いていた。
それをネタ帳を買ってきて、全部写したりとか、使えないものは、もうかきうつさない
で、使えそうなものだけネタ帳に描いたりとかしている。

(以上)


(*1)
http://www.womens-performance-art-osaka.jp/
のぎすみこのビデオ作品のタイトル。彼女のプロフィールはWEBを参照。

(*2)
http://www.wacoal.co.jp/company/nyubou-bunka/art_lab/index.html
ワコール乳房文化研究会主宰の展覧会

(*3)
『27人の二人』(1997年作品、Win/MacHybrid)
下記のショップで購入可能。
http://www.divo.co.jp/shop/index.asp?sp=cyberbook


編集:
中西美穂(オフィス・バッテラ)

発行:
women's-performance-art-osaka

無断転載禁止
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